第23のひかり | 第23のひかり | 27
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クルアーンでの礼拝を行わない人に対しての厳しい言葉であるが:ある王(スルタン)民衆の権利を守るために、劣悪な者が民衆の権利を侵害した場合、過失に応じて、厳しい罰をその者に与える。同様に、崇拝行為や礼拝を断念する者は、永遠なる主アッラーの統治下に住む人々(存在)の権利を侵害し、彼らに精神的害を与えることになる。なぜならば、存在の素晴らしさ(円熟さ)は全知全能の芸術家アッラーを称え、崇拝することによって、完成の域に到達するからである。礼拝しない者は(自分がその仲間にいないから)存在のアッラーに向かっている姿、彼らの崇拝行為を見ようとしない、いや実際には、見ることができない。おそらく否認する。その時、アッラーの御名を称え、アッラーを崇拝する高いレベルの人々(存在)や、アッラーの御名や属性を伝え,それらを映し出す鏡のような人々を,いと高き地位から引きおろし、彼らを価値も役目も気力もなく悲惨だとみなし、過小評価して、彼らのすばらしさ(円熟さ)を否定し、攻撃するのである。

誰でも宇宙を自分の鏡から覗く。アッラーは人間を宇宙の秩序とバランスとして創造した。一人一人にこの宇宙のある部分を与え、その部分の色をその一人の心の信仰の状態によって違う方法で見せる。たとえばいつも悲しくて泣き続けている人は周りの存在が泣いているように見る。非常に幸せで明るくていつも笑う人は周りの存在を笑っているように見る。いつも考えていてまじめに礼拝しアッラーの名誉をあげる人は存在が確実に礼拝している様子を見ることができる。うかつあるいは否認のせいで礼拝を止める者は存在を実体とまったく異なる状態で思い込み、素晴らしさを否認し不正を行う。

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